連載 放送技術最前線
 
第1回
カタツムリがニンジンをかじる音、聞いたことありますか?
 
 
 
アリの足音もとらえる「昆虫マイク」開発者が語る
ハイビジョン時代の“音”の役割とは
 
  写真と文:喜多充成

「ダンゴ虫の足音はすごいですよ、ドドドドッって感じで。なにしろ足の数が多いですからね(笑い)」といたずらっぽく話す岩城正和さん(技研・立体映像音響担当)は、今回の目玉展示のひとつ“昆虫マイク”の開発者。その名の通り昆虫のような小さい生物の営みから発せられる、きわめて微弱な音をとらえる特殊マイクだ。

 そしてこのマイクが我々にもたらしてくれる音響世界は、想像をはるかに超えている。だって「クモ、アリ、テントウムシの足音」とか「カタツムリがニンジンをかじる音」、果ては「カタツムリ心臓の鼓動」なんて、この記事を読んでいるアナタ、想像したことありますか? 少なくとも筆者は、昆虫マイクというものの存在を知るまで、そういう世界を身近に感じることなどできなかった(できっこなかった!?)。 だが、いま私は、クロオオアリのクローズアップ映像を見ながらヘッドホンでその足音を体感し、言いしれぬ感動に襲われている。

 自作の顕微鏡で池のたまり水をのぞきこんだ17世紀のオランダの博物学者レーウェンフックも、おそらくこういう驚愕と感動を味わったに違いない。
「見たことない映像世界を体験してもらおうというハイビジョンの特別番組の企画が開発の発端でした。たとえばアリがハイビジョンの画面いっぱいにバーンってのはどうだろう。するとそのサイズの“音”も要る、つまりアリの足音も拾えるマイクが必要だ。でも今のマイクじゃ無理。じゃあ作りましょう、となったわけです」

 言うまでもないが、テレビ放送は画(え)と音で成立する。その二つは「ある」というだけでは十分でなく、マッチしていることが重要だ。人物のクローズアップのシーンならその人物の話し声が最も大きく聞こえなければならないし、雑踏のシーンなら街の喧噪の音もかぶさってこないと不自然だ。ならば雑踏の中の人物のクローズアップのシーンでどうなるかといえば、「街の喧噪」と「話し声」を別々に録音し、話し声のじゃまにならないような音量で喧噪をミックスする……、というような細工がテレビ制作の現場では日々行なわれているわけである。

 ゴマ粒ほどのアリでもドーンと大きく、しかも外殻の光沢や触角までクリアに映し出せる高性能なカメラがあるのなら、マイクだってその性能に追いつかなければならならない。しかもノイズに埋もれないクリアな音で……。そう、これは“音の顕微鏡”なのである。

 
 
スピードスケートと昆虫マイクの意外な類似点
 
 
 ここでマイクの仕組みについて簡単に解説しておこう。まず、音とは空気の振動である。極めて薄くて軽い“膜”を置くことでその振動を拾い、その膜に付属する回路が振動を電気信号に変換するという原理は、放送用でもカラオケ用でもマイクの原理はまったく同様だ。振動を電気信号に変換できれば、増幅もデジタル化も録音も自由自在となるわけで、マイクの性能とは“目的とする音”をいかに正確に電気信号に変換できるかを意味することになる。
 そして、誰も聴いたことがないような小さな音を狙う“昆虫マイク”開発の成否は「周囲の雑音」をいかに排除できるかにかかっていた。

「人間の足音って、よく考えてみると足が出す音じゃないですよね。砂利の上を歩けば砂利の、廊下を歩けば床板の音がして、それを足音と呼んでいる。禅問答にあるでしょ、『柏手は右の手が鳴ったのか左の手が鳴ったのか』って。そんなことまでマジメに考えてたくらいですよ」
 そんな苦労も山ほどしたが、最後に突破口を開いてくれたのが、長野オリンピックで使われた“氷中マイク”の着想だった。

「会場を揺るがす歓声の中で、いかにそれをカットして選手のエッジが氷を刻む音をとらえるかが当時のテーマでした」
 これを成功させたのは、空気中の音を振動膜で拾う替わりに、リンクの氷そのものを“振動膜”として使おうという着眼だった。
 マイク本体を氷の中に閉じこめ、エッジが氷を刻む音をそのまま振動として受け止める……。岩城さんはこのアイデアで難問をクリアしたのである。

 そういえば私が記憶しているスピードスケート競技のシーンにも確かに「シュバッ、シュバッ」 というエッジの音が、臨場感たっぷりに“記録”されている!

 
 
デジタル時代で重みを増す“音の入り口”の役割
 
 
“昆虫マイク”の成功も氷中マイクの発想の延長線上にあった。昆虫の発する音そのものでではなく、昆虫の発する振動をそのまま拾う構造が、雑音に埋もれないクリアな音質をもたらしたのである。
 完成した試作機で試された記念すべき昆虫第一号は冒頭に出てきたダンゴ虫と、テントウムシ。

「試作機ができたのが冬だったので、研究所の庭石をめくってすぐ見つかったのがそれだった(笑い)。でも驚きの世界でしたよ」

 その後、取材の現場で使い勝手をよくするための改良を重ね、完成度を高められた“昆虫マイク”が、今回の展示物というわけなのである。

 それにしてもみなさん、タイトルにもある「カタツムリがニンジンをかじる音」、どうやって録音されたと思いますか? さっさとタネ明かしすると、これが「なるほど!」なのである。

 薄くスライスしたニンジンをマイクの上に乗せて“振動膜”として使い、それ自身をカタツムリにかじってもらっているのだ。ヘッドホンで聴いてみると、まるで「自分がカタツムリにかじられたような気になってしまう」ほど、雑音など皆無のクリアな音質である。
 また、今回の展示品であるクロオオアリの足音でも似たような、またちょっと違ったトリックが使われているが、これは“聴いて視て”のお楽しみにとっておきたい。

 ともあれマイクロフォンとは、そもそも小さな(micro)音(phone)という意味の造語である。昆虫の出すわずかな音まで拾えるこのマイクは、マイクロフォンの中のマイクロフォンと言えるのではなかろうか。
「デジタル時代にも絶対になくならない、むしろハイビジョンやデジタル化で映像がクリアになればなるほど重要性が増すのが、この音響の仕事だと思っています」
 と力強く語る若き放送技術マンの“作品”に、拍手を送りたい。
 
  ネットで体験デジタルフェア 「昆虫マイク」のページ  
■著者略歴■
喜多充成(きた・みつなり)1964年石川県生まれ。週刊誌・月刊誌で情報技術、産業 技術などをテーマに執筆するフリーライター。ノンフィクション作家・山根一眞氏に 師事し“情報山根組通信兵”の肩書きも持つ。
 
 
クロオオアリの展示ではなく、クロオオアリの足音が聴ける“昆虫マイク”の展示です。 マイク本体を手にする岩城正和さん(放送技術研究所・立体映像音響担当)
 
     
第1回 カタツムリがニンジンをかじる音、聞いたことありますか?
第2回 試験管? いえ、これが未知の世界へわれらを誘う秘密の鍵なのです。
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第4回 ニュース音声「ほぼ」リアルタイムで文字変換
第5回 魅惑の美肌をあなたに! 電子化粧品「Eメイク」NHKから新発売!?
第6回 ハイビジョン用「新・バーチャルセット」の「新」の意味
第7回 NHK初(!?)のフリーウェア「TVMLプレーヤー」の密かな野望